きのみきのまま

女子大生の読書備忘録

『みな、やっとの思いで坂をのぼる—水俣病患者相談のいま』永野三智

新聞をめくっている時に、この本の存在を知った。5月1日になると、水俣病が節目の年として話題になる。私自身が、熊本県出身ということもあって、本著に興味をもった。応援の意味を込めて記事にした。

みな、やっとの思いで坂をのぼる?水俣病患者相談のいま

みな、やっとの思いで坂をのぼる?水俣病患者相談のいま

永野三智(1983~)

2017年から、水俣病センター相思社(熊本県水俣市)常務理事と水俣病患者連合事務局長を兼任。

1.5月1日って何の日?

2019年5月1日は改元されて新しい時代「令和」が始まったが、水俣病の公式確認から63年を迎えた。不知火海沿岸で被害を受けた人たちは日々の健康不安と向き合い、患者認定や救済を巡る紛争状態も続いている。1995年と2008年の2度の政治決着を経て、水俣病で何らかの補償を受けたのは約7万人。しかし、潜在患者は10万人以上とも言われ、患者の認定申請は現在も続いている。

2.小さな声を聞き取る永野さん

地域の断絶、差別意識が根深く、家族とさえ話せない現実がある中で、表立った声なき声。永野さんは人生のイベントごとに聞いていくことが、症状を聞くときに有効だとして、本著を読むと患者さんの半生を知ることができる構成になっている。このような小さな声を聞きとることは、社会や世界のあり方に目を開くことに通じると考える。水俣病に限らず、原発事故が起きた福島県でも、重い地域負担が課せられた沖縄県でも、置き去りにされている人々がいる。

3.高度経済成長の「影」である公害病

1932年から36年間に渡って、チッソはメチル水銀を含む廃水を無処理のまま放流した。海は汚染され、犬や猫、鳥や家畜は狂躁状態になり死んでいき、水俣湾を含む不知火海の魚を食べた人間も、メチル水銀によって中枢神経を侵された。「魚介類は、母の手で調理され、毎日食卓にあがった。子どもたちは競うようにして食べた。この幸せな食卓から、水俣病が始まった。」(p.116)という文章が頭を離れない。

4.みな、やっとの思いで相思社までの長い坂をのぼる

永野さんは訪れる人と向き合い、語る言葉に耳を傾けてきた。本著は、その記録である。一読者である私にとっても、「やっとの思いで」というテンポでしか読み進められないような内容である。他人事のように流れていた水俣病のニュースの裏に、永野さんのように患者相談を続けることで「悶え加勢」している存在がいることを知った。永野さんの言葉を通して、「やっとの思いで坂をのぼ」ってくる人の息遣いがまさに聞こえてくるようだった。

[感想]

子どもの頃に水俣病患者の女性のマネをしてしまった過去から始まるのが、衝撃的だった。本著は、水俣病が決して過去の病ではないことを突きつける。私は熊本県出身で幼少の頃から水俣病を勉強していた身であるが、知らないことだらけだった。また「水俣病」という名前による風評被害で、自分の出身が水俣市であることを隠しながら生きている人が確かにいると知った。水俣病の終わりとはなにかという問いに、私は答えが見つからなかった。